中国史を語る(太宗④)


中国史・太宗を書いてきましたが今回で終わりです~。




太宗は北伐を諦め内政に力を入れていきました。



官僚体制の整備や、科挙の拡大を進めます。



太宗朝では毎年、試験が行われていましたが、数人か数十人程度でした。



970年(開宝3年)何度も試験に落ちた人に追試試験を行い特奏名として160人



合格させました。



これを皮切りに、どんどん合格者を増やし



科挙出身者の地位もどんどん上がりました。



こうして太祖の時代の太宗朝は全国の漢族地域の統一を達成、


新王朝の隠れた危険性を取り除きました。







おわり



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太宗は太祖を殺した疑惑がある皇帝ですが、そのあとは真宗に引き継ぐまでに


科挙など内政に力をいれて、宋の新しい王朝を始動させた人でしたね。



科挙の試験は、毎年行われていたのが、合格者を増やしたので


毎年ではなくなったみたいです。


そして多いときは1000人の合格者の年もあったそうです。



孤城閉の仁宗にも、たくさんそんな人の活躍が描かれてました。



正直、会話が長すぎて先生の講義を聞いてるかのような会話の


長いドラマでした。。



中国史は終わって、また三国志を語るに戻りたいと思います~。


今度中国史を記事にするときは「始皇帝」の話にしようかな。