中国史を語る(太宗②)


中国ドラマの【大宋宮詞】にも出てくる太宗。


このドラマの太宗は、もうおじいちゃんって感じの俳優さんでしたね。笑



では続きです~。



太祖殺害、疑惑の太宗。



太宗の怪しいところは、普通は君主が亡くなると「翌年」に


改元するのが普通ですが太宗は2か月もせずに改元しています。


そして急いで功を立てるべく、戦をします。




呉越・副建を帰順させます。そして北漢を亡ぼし、漢族地域の全土を統一します。



979年6月、北漢を亡ぼした後、兵の疲労を顧みず、あわただしく北伐へ向かいます。


宋軍は幽州(現・北京)の高梁河で遼の援軍に挟み撃ちに会い、惨敗します。



太宗もこの時、矢が刺さり命からがら逃走しました。


しかし・・・諦めの悪い太宗は、数年後また戦を起こします。



続く



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疑惑の太宗は内政への転換など急いだ理由は


歴代の皇帝のような威信を立てようとしたのです。



急いで何かするとロクなことがありませんね。



そして太祖の次男は自殺、4男は不審死を遂げています。



自分の後には息子の



趙恒チョウコウ

に継がせるために先帝の子供は邪魔ですから。


怖い世界ですね~。