中国史を語る(始皇帝⑤)
お久しぶりの歴史記事~。
三国志はお休みして中国史を語っています。
随時参加を募集中~(誰も応募してこないけど(笑))
始皇帝の嬴政は生まれた随の国
都・邯鄲への思いが強かった。
前229(始皇18)年、随の国に大攻勢をかけます。
都・邯鄲を包囲し翌年随王を捕らえました。
嬴政は随の邯鄲で生まれ自分を匿ってくれた母の家を迫害した者を探し出し
穴埋めにしたと言います。
嬴政、暗殺未遂事件
前227(始皇20)年、嬴政暗殺未遂事件が起こりました。
燕の太子・丹は荊軻を送り込み暗殺しようとする。
しかし嬴政は、いち早く気が付き、荊軻を捕らえて
体解して見せしめとしました。
続く
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*体解とは*体をバラバラにすること*
嬴政は荊軻の襲撃に逃げまどっていましたが剣を奪って
荊軻の左股を切断したと言われています。
麗姫と始皇帝の、ディリラバさんと、チャンビンビンさんのドラマでも
荊軻が最後、嬴政を襲うシーンがありましたね。
しかし事前に察知した嬴政は、薬を盛って弱らせ、
そして捕らえていたシーンが描かれていた。
荊軻が麗の祖父が授けた鵠落憲法を習得したけど、
なんの意味もなかったよね。。
ドラマではさすがに体を切り刻むシーンはなかったですが。。。
嬴政が残虐非道だったと言われているのは、そうゆう所ですね。