中国史を語る(始皇帝②)


語る会・会員わたくし1名。



始まり始まり~。







前239(始皇8年)秦王・21歳。


秦王の弟・朝安君・成蟜セイキョウ が将軍として


趙を攻撃したとき、趙の屯留の地で反乱を起こしました。



彼に従った軍吏は全員、斬首の刑に処され、屯留の地にいた民は


辺地の臨洮リントウに送られました。



自殺した成蟜を見て、


屯留と蒲鶮ホコウにいた兵卒は反乱を起こし、


殺されたものの遺体はそのままさらされました。



続く



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麗姫と始皇帝でも、成蟜の反乱は描かれてましたね。



嬴政と成蟜は、仲良さそうに見えた?けれど、


呂不韋の画策で、成蟜は反乱を起こしました、



ドラマでは成蟜は生きてましたけどね。


子供と奥さんと一緒に穏やかに暮らしていたけど。



ちなみに「臨洮」は長城の西の起点です。



この時代は残酷です。


遺体を埋めることもせずに、さらし首にしたり。。



わざわざ屍を戮すコロ行為などは



生き埋めにしたりするのと同じくらい残酷ですね。